20070211

[メモ]ピタゴラス派の天球運行の諧音

ピタゴラス派における、ハルモニア・ムンディ(宇宙の音楽、天界の調和) の宇宙観について


 ハルモニア・ムンディとは古代ギリシャのピタゴラス派と呼ばれる人々の宇宙観のこと。その宇宙観は、宮沢賢治の作品『シグナルとシグナレス』にも「ピタゴラス派の天球運行の諧音」という表現で少し顔を出している。宮沢賢治を読み返していてこの単語を思い出した。



ピタゴラス派の天文理論
  • 全宇宙の秩序は数からなっており、数の比によって支配される。(ピタゴラス派は、協和音〈ハーモニー〉が数比といった数の原理に支配されているという発見-たとえば二本の弦の長さの比を1対2にして弾くと和音がでる、というような-を通して、感覚される世界の美しの秘密は数にあるのではないかと考えた。さらにそこから、広く生成や存在を決めている秘密は数にあるのではないかと考えるに至るのである。)
  • 宇宙の中心に「炉」と呼ばれる燃える火があって、そのまわりを太陽、月や地球など全部で10個の天体が回転している。(ピタゴラス派において、’10’というのは神聖な数であり、それはテトラクテュスという三角形の数記号に象徴化されているとのこと。また「対地星」という理論上仮想される天体を導入することによって、観察事実によらず半ば強引に天球の数を10という完全数にあてはめて考えていた。)
  • 天球の速度は「炉」の中心からの距離の比に応じているから、高速で公転する巨大な天体は一個一個がすべて、特定の音程でそれぞれに音を出しているはずだ。しかもそれがオーケストラの各楽器のように全体が美しいハーモニーを奏でている。
  • 宇宙は美しい星空として目に見えるだけでなく美しい音楽にも満ちているはずだ。
  • ただし、われわれは子供の頃からその環境の中で育ったためにその環境に慣れてしまいそれが鳴っていることを感じられない。


参考:
荻野弘之 『哲学の原風景』 NHKライブラリー

20070203

[表現]気なる表現



バカ編

「肺に青いバラが咲いて死ぬ奇病」 
※ヤングジャンプ。何でもロマンチックに美化してしまう少女マンガを少し小バカにした感じで使用。「青いバラ」という表現が新鮮な感じの極地。青バラ~」はゴスロリ・ビジュアル系なども同じ匂いがする。新鮮な表現だと感じつつ、ステレオタイプの印象を受けるのが面白い。普通の文脈で使ってもバカで面白い。

「ちょうちょ結びの高気圧が 君のハートに接近中」 
※GAOの溜池nowで流れた「金魚注意報」というアニメの歌詞。歌詞全体も天気用語の比喩で埋め尽くされている。「高気圧」に例えられているのは多分、恋する元気な女の子。そういうことが歌詞の一行で表現できているということはすごい。と同時に、普通の文脈で使うとちょっと面白いバカ表現になるので、いい。また、この歌詞には他にも「今日もはなまる」という表現もあり、能天気でバカで面白い。

「目でピーナツをかめ!」
※ドラえもん。ジャイアンがのび太と何かの賭けをして、その敗者がやる罰ゲームとして提案。目でものをかむという、(字面どおりに考えるなら、目の機能からすれば論理的に不可能な)無茶なことを言い出すジャイアニズムに感服。漫画の中ではのび太が結局負けて、まぶたでピーナッツを挟んでいた。言い方が面白いし、その無茶な言い方の背景にジャイアンの考え方が見え隠れしていて、「ジャイアンだからこの言い方にしかならない」と変に納得してしまうところもまた、面白い体験だった。



文学的比喩表現編

「銀の針の様な ほそくきれいな声」 ※宮沢賢治 「黄色いトマト」

「ピタゴラス派の天球運行の諧音です。」  ※宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」

「かま猫はもうかなしくて、かなしくて頬のあたりが酸っぱくなり、そこらがきいんと鳴ったりするのをじっとこらえてうつむいておりました。」  
※宮沢賢治 「猫の事務所」。悲しさのあまり、悲しくて頬のあたりが酸っぱくなったり、そこらがきいんと鳴る感じというのが自分にとって何だかリアリティを感じた。悲しいときには本当にそうなるかも、とは思うが、実際そういう体験をしたことがあるのかないのかは思い出せなく、曖昧。しかし、その悲しい様は伝わってくるし、悲しさの在り方の一つとして共感もできる。悲しいを「悲しい」という言葉だけで表現するだけではなくて、悲しいときに体に起こる生理的な反応をやわらかい言葉で分析的に記述することにより生じている雰囲気がとてもいい。科学の態度を文学の態度の中に取り入れることによって、この「いい雰囲気」を作っている。