20070619

[メモ]気になる単語

たまに文章に登場し、何となくイメージは掴めるけど確かな意味はわからない、そんな単語たちのための調べ学習。

カタコンベ
  • 地下の墓所のこと。もともとはローマの特定の埋葬場所のことを意味していたが死者を葬る為に使われた洞窟、岩屋や地下の洞穴のこと全般を指すようになった。ローマ帝国による迫害を逃れた初期のキリスト教徒は、ここで信仰を守りつづけた。
サンクチュアリ
  • 聖域・聖所の意。中世ヨーロッパで、法律の力の及ばなかった寺院・教会など。敵の攻撃を受けない安全地帯。また、ゲリラの安全な隠れ場所。鳥獣の保護区・禁猟区。
五体投地
  • チベット仏教における巡礼のスタイル。五体すなわち両手・両膝・額を地面に投げ出すようにして少しずつ前に進んでいく動作。参考までに:「五体投地のやり方」
アガスティアの葉
  • アガスティアの葉は南インドに伝わる葉で、その昔、聖者アガスティアがこの世の人々の未来を予言し、それをpalmyra(パルメーラ)の葉に書き取ったものといわれる。 一人一人の葉は指紋で識別できるようになっており、葉にはその人の一生について細かく書かれているとのこと。聖者アガスティアは葉を見に来る人の数も予言し、その人数分だけ葉が保管されているとも伝えられる。
アカシックレコード
  • アカシックレコード (Akashic Records) は、宇宙や人類の過去から未来までの歴史全てが、データバンク的に記されているという一種の記録をさす概念。神智学(あるいは人智学)やリーディングの伝統などでは精神的に目覚めた人は、この記録から、意のままに過去や未来の情報を引き出すことができるようになり、そして自己の人生の意義や存在の理由がわかるとされる。多くの預言者や神秘家がこれにアクセスし、予言として世に伝えてきたとしている。

20070615

[表現]バルザック『ゴリオ爺さん』

フランス人作家。現代リアリズム小説の祖と言われる。

表現
  • 「服装はそんなだったが、彼らはほとんどみな、骨組みのがっしりした身体、人生の風雪に耐えてきた体格、冷たくて、かたくなで、通用しなくなった古い貨幣の表面みたいに特徴のない顔を見せていた。」20
  • 「真っ先に社会から利益をしぼりとる人間となるために、あらかじめその学業を社会の未来の動きにに適応させて、すばらしい出世を準備しているといった青年たちのひとりだった。」18
  • 「いったいどんな酸が、この女から女性的な容姿を腐食し去ったのか?」20
  • 「習慣的な愁い顔、もじもじした表情、貧しくひ弱そうな様子」23
  • 「ウージェーヌは男爵夫人の手をとり、ふたりとも、ときどき強く握っては音楽が与える感覚を伝えあいながら、手と手で話した。」261
  • 「父があたしの心臓を作ってくれたけど、それを脈打たせてくださったのはあなたですもの。」431
  • 「女の感情を見抜ける人間にとっては、この瞬間は甘美な喜びに満ちたものである。自分の意見を出し惜しみして相手をじらし、思わせぶりして自分の喜びを隠し、相手に不安を起こさせてそこに愛の告白を探り、ちょっと微笑するだけで解消してやれる相手の心配ぶりを楽しむといったことを、しばしばやってみなかった人間がそもそもいるだろうか?」265
  • 「女のすべての感情を流露させるあの慈愛の行為をできたのが嬉しく、それにその行為が、罪の感情なしに、青年の心臓が自分の胸の上で動悸のを感じさせてくれたので、ヴィクトリーヌの表情にはどこか母性的な保護者といった様子が漂い、それが彼女の顔を誇らしげに見せていた。」324

ボーセアン夫人の科白
  • 「じゃあ申し上げるわ、ラスティニャックさん、世間というものを、その値打ちどおりに扱うことですよ。出世なさりたいとおっしゃるなら、わたしがお助けします。女の堕落がどんなに底深いものか、男のみじめな虚栄心がどんなに幅広いものか、いずれあなたもおわかりになりますよ。わたしはこの世間と言う書物をよく読んだつもりでいましたが、それでもまだ、わたしの知らないページがありました。いまはわたしには何もかもわかりました。あなたは冷静に計算なされるほど、出世なさるのですよ。容赦なく打撃を与えなさい、そうすればひとに恐れられます。男も女も、宿駅ごとに乗りつぶして捨ててゆく乗り継ぎ馬としてしか、受け入れてはいけませんの。そうすることによって、あなたは望みの絶頂に達することができるでしょう。はっきり申し上げるけど、あなたに関心をいだく女性がいないかぎり、ここではあなたは物の数にもはいらないのです。若くて、お金持ちで、上品な、そういう女性があなたに必要なのです。でもあなたがほんとうの愛情を感じたりしたら、それを宝物のように隠しておかなければなりません。けっしてそれを感ずかれないようにすることです、そうでないと、あなたは破滅です。そのときはもう、あなたは死刑執行人ではなくて、犠牲者になってしまうのですからね。まかり間違って恋をしても、あなたの秘密をしっかり守るのです!心を打ち明けようとする相手が、どんな人間かはっきり見定めた上でなければ、その秘密をもらしてはいけませんわ。(略)パリでは、評判がすべてで、権力を手に入れる鍵ですの。女たちがあなたは才気のあるひと、才能のあるひとだと言えば、男たちも、あなたがその評判と逆のことをしないかぎりそれを鵜呑みにするものなのよ。そうすればあなたは、どんなことでも望みどおりにでき、どこへでも出入りできるのです。そうすればあなたにも、世間というものがどういうものか、つまりお人よしとぺてん師の集まりだということがわかるでしょう。どちらの側についてもいけません。わたしの名前を、世間というこの迷路へはいってゆくためのアリアドネの糸として貸してさしあげます。この名前を辱めないでくださいね」139
ヴォートランの科白
  • 「(略)なんならためしてみるがいい。このサラダ菜の根っこと引き換えに、首を賭けたっていいが、君のお気に召した最初の女の家で、たとえそれがどんなに金持ちで美人で若い女であっても、君は雀蜂の巣みたいな混乱にぶつかることを請け合うね。どの女もみんな、法律の首枷をはめられ、何かにつけて亭主と交戦状態にあるんだ。恋人のため、着るもののため、子供のため、家庭のためや虚栄のため、といってもめったに美しい心根からじゃあないことは、保証していいが、どんな醜い駆引きがなされているか説明しなきゃならんとしたら、果てしがないだろうよ。だから正直者ってのは、共同の敵なのさ。しかし、正直者ってのはどんな人間だと思うかね?パリでは、正直者とは黙りこんで、仲間入りするのを断る人間のことさ。なにも、いたるところでつまらん仕事をして、その労働が絶対報いられることのない、神の古靴信者団とおれの呼んでいるあの哀れな賤民どものことを言っているんじゃあない。たしかに、連中の間には美徳があって、その愚鈍さのかぎりを花咲かせているが、しかしまた悲惨がある。もしも神が最後の審判の日に欠席するなんていう、たちの悪いいたずらでもしたら、あのひとのいい連中がどんな泣きっ面をするか、目に見えるような気がするな。というわけで、君がたちまちのうちに出世しようと思うのなら、すでに金持ちであるか、あるいはそう見えなくちゃならんのさ。金持ちになろうと思ったら、この土地じゃあ、思い切った芝居を打つことだ。そうでもしないと、けちけち暮らして、はいご苦労様さ!君が選ぶことのできる百の職業のうちで、十人ぐらいはさっさと成功するのがいる、世間はそういう連中を泥棒と呼ぶ。そこから結論を引き出したまえ。ありのままの人生とはそんなものなんだ。こいつは台所以上にきれいなものじゃなく、同じくらいひどい匂いがする。そしてご馳走を作ろうと思ったら手を汚さなくちゃならん。ただ、あとでそのよごれをきれいに落とすすべを知ることさ。それが、いまのご時世の道徳のすべてなんだ。おれが世間のことをこんなふうに話すのも、世間がその権利をおれに与えた、つまりおれは世間を知っているからなんだ。おれが非難していると思うかね。どういたしまして。世間てのはいつもこうだった。道学者連がなんといったって、変わりっこない。人間は不完全なんだよ。人間は多かれ少なかれ、偽善者になることがあるが、そうすると頓馬な連中は、やれ真面目だ、不真面目だなどとぬかす。おれはなにも、貧乏人のために金持ちをやっつけているわけでもないのさ。人間てのは、上だって下だって、真ん中だって、いつもおんなじなんだ。この高等家畜の群れには、百万人に十人ぐらいの割で、あらゆるものの上、法律の上にさえ立つ図太いやつがいる。おれもその仲間さ。君は、もし優秀な人間だと思ったら、頭を上げてまっすぐ進みたまえ。しかし、羨望とか中傷とか愚鈍さとかと戦わなくちゃなるまいな、すべての人間と。(略)」187
ラスティニャックの科白
  • 彼の目には世間というものが、いったん足を突っこむとずるずる首までもぐってしまう、泥の海のように映るのだった。「そこで行われるのはしみったれた犯罪ばかりだ!」と、かれはつぶやいた。「ヴォートランのほうがずっと偉い。彼は《服従》と《闘争》と《反抗》という、社会を表現する三つの大きな要素を見きわめていた。つまり《家族》と《世間》と《ヴォートラン》だ」 それでいて彼は、態度を決めかねていた。《服従》は退屈であり、《反抗》は不可能で、《闘争》はあやふやなのだ。彼の思念は、ひとりでに彼を家族のもとへと連れ戻した。彼はあの静かな生活の清らかな感動を思い出し、自分をいつくしんでくれた人びととの間ですごした日々を回想した。家庭というものの自然の掟を忠実に守って、そのなつかしい人びとは、そこに充実した、間断のない、そして何の苦悩もない幸福を見出しているのだ。そんな殊勝な考えにもかかわらず、彼はデルフィーヌの前に出て清らかな魂の信条を告白し、《愛》の名において《美徳》を命令するためだけの勇気が、どうしてももてなかった。始まったばかりの彼の教育が、すでに実を結んでいたのである。彼はすでに利己的に恋していた。生来の俊敏さのおかげで、彼はデルフィーヌの心の性質を見抜いていた。舞踏会へ行くためなら父親の死体でも踏みにじりかねない女だと、予感していたのであり、それでいて彼には、説教師の役割を演じる気力も、夫人の機嫌をそこねる勇気も、彼女を捨てるだけの道徳感もなかった。」446
  • 「美しい魂を持っていると、この世間に長くとどまっていることができないんだ。実際、どうして偉大な感情が、みみっちくて、しみったれていて、浅薄な社会などとおりあってゆけるだろうか。」464

語句の意味

かもじ
  • かもじとは、もともと結髪に使う「添え毛・入れ毛・足し毛」のこと。髢。
象嵌
  • 象は「かたどる」、嵌は「はめる」と言う意味がある。象嵌は、一つの素材に異質の素材を嵌め込むと言う意味。

  • 戸・窓・障子などの周囲の枠
矍鑠(かくしゃく)
  • 「矍」とは「おどろく・いさむ」姿の意味、「鑠」とは「さかん」と言う意味。2つを合わせて、「年をとっても元気なさま」という意味で年老いた人に対して使われる。

20070612

[本]ジャン・コクトー『恐るべき子供たち』

ジャン・コクトー『恐るべき子供たち』岩波文庫

あらすじを少々

主な登場人物は4人の孤児。ポール、エリザベート、ジェラール、アガート。
ポールは同じ学校の悪ガキダルジュロスを崇拝。しかし、学校をリタイアしてからその感情はダルジュロスの写真に移り、アガートたちと住むようになってからは彼女の中にダルジュロスの面影を見つけ、最終的に彼女に対して愛情を抱くようになる。エリザベートの弟。
ジェラールはポールの同級生。ポールがダルジュロスに対して抱いている感情を、ポールに対して抱く。目覚めつつ夢を見るという不思議な恍惚状態をポールから学び、その不思議な感性をポールそのものとして、その魅力を感じている。どういう流れか不明だが、少女から娘と成長したエリザベートに愛情を抱くようになる。しかし長年の付き合いの中で、彼女に愛情を与えることは彼女から愛情を奪う、という矛盾に思える繊細な洞察をし、彼女を自分の中で聖処女として位置づけただ偶像的に理解するようになった。
アガートはエリザベートの同僚。「マネキン」と呼ばれるファッションモデルの仕事を行う。いつからかポール、エリザベート姉弟と住むようになる。ポールに愛情を抱くが、エリザベートの策略によって、ポールへの気持ちを無理やり断ち切られ、最終的にジェラールと婚姻する。
エリザベート。弟に対して倒錯した愛情を抱いている。その愛情をどう評価するか、というのがこの小説の主な主題一つと考えられる。

ダルジュロス。ポール、ジェラールの同級生。意識的に無意識的にポールに影響を与える。現実というポールの狭い世界の中で、彼に対して唯一強烈に際立っていた存在。その容姿や立ち振る舞いの中に何らかの魅力を感じていた。登場場面はほとんどないが、重要人物。


単語の意味

中風
  • 脳卒中。脳出血によって、半身または腕・足など身体の一部がマヒして感覚がなくなり、自由が効かなくなる病。
軒蛇腹
  • 軒近くに設けた蛇腹。
  • 軒(のき):屋根の下端で、建物の外壁から張り出した部分。風雨や日光をよける。
ためつすがめつ(矯めつ 眇めつ)
  • 〔動詞「たむ」「すがむ」の連用形に完了の助動詞「つ」が付いたもの〕いろいろな方からよく見るさま。とみこうみ。「―して見る」

20070611

[メモ]ハシシ・コーク

ハシシ、コーク。村上龍『イビサ』に頻繁に登場する薬物。主人公のマチコやその友人ラフォンスがよく使用していた。どういう薬物か調べ学習。


ハシシ

・大麻樹脂。大麻草の分泌する樹脂を集めて成型したもの。「チョコ」と称されることもある。
  • cf.大麻:「我が国では麻(アサ)として知られてきた。この麻は、テトラハイドロカンナビノール(THC)という物質(薬物)を含んでおり、THCには催幻覚作用がある。乱用される大麻は、その形状によって、だいたい3つに分けられる。1)大麻草を乾燥させたもの。2)大麻草の分泌する樹脂を集めて成型したもの(大麻樹脂)。3)溶媒を用いて成分を抽出したうえ、オイル状にしたもの。」

ハシシ周辺の薀蓄
  • THCは油やアルコールに溶ける。
  • THC は脳内の海馬・小脳・延髄腹内側部などに影響。
  • 致死量は、カンナビノイドの含有量が品種によって違うため断定出来ないが、過剰摂取による死亡例の報告は無く、急性中毒による死亡はまずないと言われている。
  • 日本では大麻の所持や栽培は大麻取締り法で規制。国の許可がないと所持・栽培はできないことになっている。
  • 栃木で栃木白という品種が栽培されているが、これは麻布とするためである。品種改良によりTHCはほとんど含んでいないとされる。なお県外持ち出しは禁止されている。

コーク

・Coke。コカイン(Cocaine)の略称
  • 南米に生育する「コカ」という木の葉から抽出される物質で、通常はふわふわした感じの白色粉末
  • 粘膜の麻酔に効力があり、局所麻酔薬として用いられる。この作用は、ナトリウムイオンチャネルの興奮を抑えることで、感覚神経の興奮を抑制することによる。また中枢神経に作用して、精神を高揚させる働きを持つ。
  • コカインによる依存症は極めて強い部類に含まれるが、主に精神依存であり、肉体依存は弱いと言われる。
  • コカインの中枢作用は覚醒剤(アンフェタミン類)と類似。コカインは作用が強烈で短時間作用し、覚醒剤は作用はコカインより弱いが長時間作用。
  • 麻薬及び向精神薬取締法で規制対象
  • もっとも特徴的な中毒症状には、皮膚と筋肉の間に虫がはいまわるような感覚が起こる皮膚寄生虫妄想というものがある。
  • ある人には安全な量が別の人には致死量であり得る。

20070608

[表現]辛酸なめ子『自立日記』

辛酸なめ子『自立日記』文春文庫PLUS

教養を無駄遣いしている感が文章に表れていて面白い。サブカル好きにはもちろん、普通の人にも面白く感じてもらえる路線。離人的な文体で日々の雑感を綴る。「毒を吐く様が面白い」と評価されているようだが、面白いのは毒そのものではなくて彼女の「想像力」といったところ。彼女の使うボキャブラリーや比喩などからそのことが窺える。ボキャブラリーや独特の比喩を駆使できているため、辛酸なめ子の文章は面白く感じる。香山リカの『多重化するリアル』ではないが、離人感覚を笑いにうまく転化している、という印象を受ける。



P161
[内臓日記]
「腸が激しく蠕動している。今日は腸の調子がいい!テルペン化合物のおかげか?チャンス到来とばかりに括約筋をゆるめ、#8B4513色をした固体を外界へと押し出した。すると同時に、胃液の漏出も活発になり、急激に空っぽの空間に物を欲し始めた。
    (略)
 賑やかな消化器官とは対照的に、子宮には穏やかな時間が流れている。
 ここ最近、子宮には特に大きな仕事がない。凪の時期はいつまでつづくのだろうか?これを不満に思ってか、たまに自分の存在を知らしめるかのように二本の腕のごとき卵管を震わせ、絞り上げるような痛みを発生させる。」

P42
「途中、おじさんが船頭のおじいさんに向かって、「舟を漕いでいる竹竿が折れたら、どうするんですか?」という素朴な質問を投げかけた。船頭は、「その場合、自分のサオで漕ぐから大丈夫です」と即答した。おばさんたちは「あ~らぁ、ウフフフフ」と嬌声と笑いが入り交じった反応を示した。わたしも一緒に笑いたかったけれど、この場合未婚の娘として求められるとおり、困ったような笑いを浮かべ、顔を赤らめてうつむくことにした。または、首をかしげて「サオって何のことですか?」と聞いてみても良かったかもしれない。」

P44
「ケーブルカーで登る途中、線路脇の草刈りをしている年配の男性が、その女乗務員と目が合った時、ニヤッと笑いかけた。その笑いは「お前の体を知っている」または「昨晩は最高だったよ」と語っているようで、のどかな遊園地に似つかわしくない淫靡なものを感じた。」

P49
「仕事中も構わず蟻がどんどん脚に登って来るので、全然仕事にならない。蟻を手で払いのけたら手にじかに「アリ」という感覚が伝わり、脳天まで突き抜けて行った。ヘレン・ケラーがサリバン先生と水に手を触れて、「Water!」とひらめいた時のような衝撃だった。アリをさわって「アリ」という感覚がするのは言霊の力なのだろうか。」

P70
「(エレベーターの)「開」ボタンを押して、営業マンの笑いがはがれ落ちる瞬間を見たい衝動にかられた。しかし、そんなことをしたら、自分が傷つくだけだと思い直してやめた。」

P71
「なんでもあなたについて話してごらんなさい」とサムは言いました。なので、嫌々ながら年齢や職業や住んでいるところについて話しました。不思議なのは、わたしが何か英語で言うたびに、サムは「Great!」「Exellent!」と、かすれた声で賞賛の言葉を投げかけてくれるのです。まるでここは英会話教室ではなく、一種の風俗のようです。何の目的もなく他国の言葉を学ぶのは、その国の文化を侵犯し、レイプするようなものなのかもしれません。これは、お金で買った言葉によるプレイという感じがしてきました。そう思うと授業料も決して高くありません。」

P74
「わたしがイラストなどを書いていると言うと、「じぁあ、世界で活躍できるといいですよね、ジミー大西みたいに!」などと言うのです。ジミー大西という名前は、もしかしてわたしのどこかに彼を連想させるものがあって出て来たのかと思うと、ちょっと女として暗い気分になりました。」

P87
「従業員は全員ボーダーの服を着ていました。フランス文化にとらわれた囚人であることを象徴しているようです。」

P98
「その原因は、ゴツゴツしたガーリックの破片だった。塩辛くて酸っぱい、そしてニンニク臭い!という、今までにない組み合わせ。たとえるなら、男子校に入学したばかりの痩せた美少年に目をつけた、ラグビー部のガッチリした男臭い上級生が、放課後、新入生を呼び出して何の前触れもなしに、突然唇を奪ったような衝撃。酸っぱい男の汗、汗以外の液体、精と青、そんなものをすべて包んだようなヨーグルトだった。最初はただびっくりさせて、それがだんだん病みつきになるような危険な魔力を秘めている。題して「おれの味を忘れられなくしてやるぜ」。」

P165
「代々木上原のペットショップで、かわいい犬が売られていた。かわいさと媚を全身で表現し、娼婦のように「買って」光線を発していた。」

[メモ]偽装結婚

偽装結婚の主な目的
  1. 姓を変更することによって、債務者リストから逃れるため。リストから逃れると新規借り入れが可能に。
  2. 性的マイノリティであることのカモフラージュ。ゲイとレズの友情婚など。
  3. 在留資格の不正取得

少々、3の不法滞在目的の偽装結婚についてメモ
  • 日本にいる外国人にとってビザは大問題。配偶者ビザを持っていると働くことができるので、日本で働きたい外国人は日本人との結婚を狙う。
  • ビザ取得のため、金を払って日本人と偽装結婚。お金の欲しい病人や遊び人の日本人が対象。日本でオーバーステイで強制退去さ せられても、身分証明書中の生年月日や番号を変えて(例えば中国では30万円程度の賄賂でこれが可能)偽装結婚で配偶者ビザを取得。
  • 日本人と結婚すれば来日しやすい上に長期滞在(3年)が可能。永住権も取得できるという法律を利用したもの。婚姻届を出したからといって同居しなくてもいいし、あとは一定期間が過ぎたら離婚すればいい。もちろん、戸籍には結婚と離婚の記録は残る
  • 外国と日本の経済格差、生活程度の格差は、外国人にとって大きな魅力。彼らは心を殺し、金のために日本人に近づき、婚姻届出をするまで、あるいは、配偶者ビザを取得するまでは、外国人配偶者は、我慢に我慢を重ねる。日本人配偶者は、婚姻届出をした後、あるいは、ビザ取得後、相手の態度が豹変したことに驚く場合がある。 あるいは、外国人自身が我慢できずに家を出て、愛人のもとに走る例もある。 我慢を通している場合、本人は、意図的に日本人配偶者に嘘を言ってごまかして何年も経過するので。それを後で発見した日本人配偶者は、驚き、愛情 と信じていたことが後で実は愛情ではないことを知る。信じていた人に裏切られていたことを知る。我慢し通した外国人もそうなると、態度を急変 。

20070607

[Web]タネの話 はみだしもの

大人の科学.net 連載 タネの話 第12回 

シーズンでない時期に芽吹いた固体、花をつけた固体が同時に映っている写真を参照して
  • 「両親と同じではない程度が大きいと、変わりモノ、はみだしモノと言われるのですが、そのはみだしモノこそが、これまで両親が住めなかった所で生活できたり、これまでとはちがう季節に花を咲かせたり、進化のパイオニアになっているのですから、はみだしモノ、バンザイです。」

20070606

[Web]webちくま 鷲田清一「可逆的?」 13 〈死〉の人称

webちくま 鷲田清一「可逆的?」

13 〈死〉の人称

一人称の死の物理的経験不可能性
  • 経験は死とともに不可能になるからだ。いいかえると、死はいつも経験の彼方にある。死は現在(presence)になりえない。死はいつも不在(absence)として迫ってくるものである。
  • これに対して、他人の死はまぎれもない経験として生じる。だれかに死なれるという経験として。無関係なひとの死はひとつの情報として経験されるにすぎない であろうが、深い関係にあるひとの死は、「失う」という経験、(他者の、ひいては自己の)喪失の経験としてまぎれもないひとつの出来事となる。
一人称の構造
  • ひとはだれかに呼びかけられることによってはじめて、他者の意識の対象としてはじめて自己の存在を〈わたし〉として感じることができる。生涯だれにも呼びか けられることがなかったひとなど、想像しようがない。「だれもわたしに話しかけてくれない」と嘆きつつみずからいのちを絶つひとはあっても。
  • 〈わたし〉の存在には「わたし/あなた」という自他の人称的な関係が先行している

二人称的死-一人称的死-非人称的死
  • 〈わたし〉は「他者の他者」としてあるとするならば、わたしをその思いの宛先としていた二人称の他者の死は、わたしのなかにある空白をつくりだす。死というかたちでの、わたしにとっての二人称の他者の喪失とは、「他者の他者」たるわたしの喪失にほかならないからである。
  • 「死ぬ」ではなく「死なれる」ことが〈死〉の経験の原型だと言うときには、わたしの身に起こること、つまりはわたしの死は、二人称である他者の喪失を想像 的に自己に折り返したところに成り立つということが含意されている。
  • いいかえると、「自己の死」には、「他者の不在」という概念を自己のなかに反照させた 擬似二人称的な死であるということが含意されている。それは、わたしにとっての〈わたし〉の死ということなのである。
  • すでにそこに自他の可逆的な人称関係は含意されているわけだから、この〈わたし〉の特異性は存在としてはすでに媒介されたものだということになる。わたし がじぶんの死について語るときには、それはすでに「わたし」と「あなた」の可逆性に媒介された言説のレベルで言われているのであるから、そのときにはも う、「わたしの死」の単独性や特異性は概念として成り立っているにすぎないことになる
  • それは、純然たる一人称を超えるものを含んでしまっ ている。この意味で、「わたしの死」について語る言説は、「死なれる」という二人称の死から派生したある非人称的な語りなのである。わたしはそういう非人 称的な語りによってしか、自己の〈死〉にふれることができない

締め
  • 〈死〉と〈生〉の関係についてもそのことがおそらくは言えるであろう。〈死〉は、わたしにとって経験の、したがってまた意味の消失であるかぎりで、無意味 なものである。どこまでも不在のものである。その無意味なもの、不在のものについての語りのなかで〈生〉の意味が彫琢される。そのかぎりで、「死は生に意 味を与える無意味である」(V・ジャンケレヴィッチ)、と。


★鷲田氏は「わたしの死」を(非人称的に)語る前に、「わたし/あなた」という可逆的な言葉を習得した時点で、他に大勢いる「わたし」という語の発話主体とは区別される「特異性」や「単独性」をもった一人称的な〈わたし〉、純然たる一人称は成立しなくなるということを前提しているように思える。純然たる一人称とは何だろうか。「わたし」という語に不可逆性を付与したものだろう。他の何ものでもないこの「わたし」。しかし、「わたし」という言葉自体、「あなた」という二人称との可逆性の中からしか生まれることのできない関係的な概念で相対的なものに過ぎないので、そのようなものに、直感的に取ってつけたように「不可逆性」を付与してしまうと、その不可逆的性質をもった「わたし」と言う語は、本来想定されていた「わたし」という語から見ると屈折したものになってしまう。「わたし」という語が可逆的に適用可能である語という説を採用し、その視点から見た場合、不可逆的なわたし-「特異性」や「単独性」を持った純然な一人称的わたし-は奇妙なものとなる。可逆的用法の「わたし」を土台として不可逆的用法にの「わたし」を創出して主張するのは、砂の上に建物を建ててその堅固を主張するくらい、不安定で説得力のないものであると思う。他と代替不可能な「わたし」を語るために、「わたし」という語を使う、それを使って考えるのは語義矛盾であり、別の表現を考えた方が妥当であると思う。

★「特異性」や「単独性」を持った何かがもしあるとしたら、それは「わたし/あなた」関係以前のものだろうか。「わたし/あなた」の可逆的関係が適用可能であることによって「わたし」という語を習得し、わたしという意識が生じる。では、わたしだけのわたし、たる所以はなんだろうか。わたしが意識的にしろ無意識的にしろ巻き込まれている「二人称の関係」の総体なのだろうか。

★一人称の死は純粋に経験不可能。二人称の死は経験可能(三人称の死も可能)。一人称を表す語である「わたし」が成立するためには他者が必要不可欠。他者との接触により「他者の他者」として自己を認識。即ち「わたし/あなた」という語が可逆的な関係にあることの認識。他者がいて、その他者の他者たるわたしがいる。その関係は両者が存在している場合に成り立つ。二人称的他者の死が意味するのは、わたしがその他者となっている他者が死んでしまったということであって、即ち「わたし」を再帰的に構築していた「他者の他者」という関係性が消滅してしまうということである。

[Web]MouRa 東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』インタビュー

MouRa
  • あなたの「愉しみたい」「識りたい」をモウラする講談社の〈才能ポータル〉とのこと。講談社のネットコンテンツ。


FRAMES INTERVIEW 06 東浩紀インタビュー
  • 「ところが、いままでは文学史は常に純文学史であり、純文学の外側からどんなひとが「越境」してきたかという、ある意味では傲慢な視線しかもてなかった。僕はその視線を相対化したかったんです。」
  • 「『ゲーム的リアリズムの誕生』は、純文学を中心として文学全体を語る、現在の文芸評論の呪縛を解体するために書かれている。」「むしろ、異なった文学環境に生きる人々が、それぞれの立場を相対化するためのコミュニケーションツールとして書いています。」
  • 「そもそもオタクたちのメンタリティには、教養主義や文学性を引きずりながらも、動物的な消費社会の波に骨の髄まで浸かっているという両義性がある。きわめて 動物的で快楽主義的であると同時に、妙に実存的で人間的でもあるわけです。それがオタクたちの作品の特徴ですよね。前回はその「動物化」の側面に焦点を当 てたわけですが、今回はその両義的なところから新しい「文学性」を──と言って言いすぎであれば、新しい文学についての語り方を導き出せないかと思って本 を書いたわけです。」
  • 「 そもそも言葉というのは、現実から乖離(かいり)しているにもかかわらず、世界と直結しているような気がしてしまう媒体です。その「カン違い」、つまり自然主義は世界中で生まれている。だから、自然主義文学批判はどこででも成立する。」
  • 「しかし、日本では──この発見は大塚英志の天才的な着想だと思うわけですが――、手塚治虫によってマンガでも世界を描けるというカン違いが起きた。文学の カン違いが、マンガのカン違いに転移したわけです。しかも、ライトノベルは、そのマンガのカン違いが文学に逆輸入されて生まれている。つまり、カン違いが 三重に重なっている。こういうふうにライトノベルのキャラクターには変わった歴史的経緯があるので、記号と現実の関係を考えるうえで、その様態を分析する のはとても面白いと思います。」
  • 「本をちゃんと読んでくれればわかるのですが、僕が「メタ物語」と言っているのは、物語の自己言及性のことではなく、物語の要素であるはずのキャラクターが 物語を横断してしまう特徴のことです。現在では、作品の制作過程で物語の作成と同じくらい、あるいはそれ以上に「キャラを立てる」ことが重視されますよ ね。しかし、キャラクターというのは、それを「立てた」瞬間に、複数の物語が自動的に召喚されるような存在なのです。これを、僕は「メタ物語的」な環境と 呼んでいる。だから、別にメタフィクションじゃなくても、キャラクターが立って、2次創作を生み出せるようなライトノベルは、すべて原理的に「メタ物語 的」な存在なのです。」

[Web]Webちくま連載 加藤典洋「21世紀を生きる生きるために必要な考え方」

webちくま  筑摩書房が展開するネットコンテンツ。ライターは十五人程度。

加藤典洋「21世紀を生きる生きるために必要な考え方」

Q76 子供を叱ることについて
  • 「そこにあるのは、第一に、喫煙は身体によくない、という風潮の中で、でも個人の嗜好でタバコを吸うのはオーケー、という嗜好の強さへの身体の反応(ま、僕 のコトバで言うと私利私欲となりますが)が、弱いということ、また、法律を含め、ルールというのは江戸時代のように、お上が作るのを下々が「守らなければ ならない」というものではなくて、「自分たちが決めて、自分たちが守る」自分たちの約束ごとだというルールの感覚(同じくこれが、公共性の感覚、ですね) が、身体に入っていないという弱さだったと思います。」
  • 「ご質問の方が、子供を叱れない、と感じるのも、こういうことが、どうも自分で確信をもてなくなってきていることの、現れだろうと思います。」「よく頭ごなしに叱るのはよくない、と言いますが、叱ることの中には、「頭ごなしに」叱る、相手に理解できるようにではなく、説得できないままに、叱りつけ る、という側面があります。どうも自分には叱れない、という感じが起こるのは、あることを叱るとして、なぜそれがいけないことなのか、子供にもわかるよう に説明することが自分にはできそうにない、と感じられるからでしょう。」「 というわけで、叱られることを通じて、頭がまだ理解しないことのうちに、大切なことがずいぶんとこの世にはあるらしい、ということを、身体が学ぶ、ということが、子供の身体感覚に入ります。」
Q83
  • 「質問をはっきりとしたくない。尋ねているわけではない。もし回答があったなら、それは回答者が勝手に何か書いているので、自分は知らないヨ、という感じ。そういう感じを与える人を、時々見かけます。コミットすることが負担になるのかもしれません。」

[本]香山リカ『多重化するリアル』

『多重化するリアル』
  • 日本で離人症や多重人格などの解離性障害が増えている。14
  • その原因は通常、「解離性障害の原因になるようなトラウマを持つ人が増えている」と考えられるが、「はっきりしたトラウマがなくても解離が起きることがある」と考える筆者は原因を別に考える。
  • 「①テレビなどの映像メディアやインターネットなどの電子メディアが現実や自己を多層化し、解離を促進する。」「②社会や時代そのものが、人々の解離を要求するシステムになりつつある。」15

解離
  • 「現実感が極端に薄れ、自分と現実、自分とからだ、さらには自分と自分のあいだに"膜”のような断絶ができてしまうという疎外感にとらわれ、同時に「自分とは何か」という自己同一性もほどけてしまいそうな状態、それが離人症といっていいでしょう。」13
  • 「現実感がない。自分が世界や出来事、さらには自分自身にとっても、"傍観者"だとしか思えず、"当事者"だという意識が持てない。」23
  • 「私が私である」「この世界は現実である」という自己認識、世界意識が損なわれる離人症は‥」23
  • 「これだけを読むと、「私が私である」「これが現実である」という人間の精神の根底を支える感覚がすべて崩壊しているようにも思えるが、重要なのは離人症では知的能力や判断力は正常に保たれ、また「そういう自分は何かがおかしい」という違和感は強烈に残っているということだ。」26
  • 「「これが現実だ」というヒリヒリしたリアリティを感じる感覚は鈍麻しているのに、「現実だと感じられないのは異常だ」と感じる感覚はむしろ鋭敏になっているのだ。それに伴う苦痛も大きい。このパラドキシカルな感覚の二重性もまた、離人症者たちの大きな特徴だと言われている。」26
  • 「現実感の喪失」「感覚の疎隔化」40
  • 「私たちが物事を体験する時、その体験はいくつかの側面を含む。それらは過去に起きたことの記憶との照合、その体験を持っている自分のアイデンティティの感覚、その時感じている身体感覚、視覚、聴覚などの感覚的な情報、そして自分の身体の運動をコントロールしているという感覚などである。解離状態では、体験の持つそれらの側面が統合を失い、その一部が意識化されなかったり、失われたりしている(解離している)状態である。82

  • 「自分の存在を確認するため」 離人症的動機を持つ犯罪の増加。リアルな世界への突破口としての犯罪。殺人、バスジャック等
  • アナログ的な古い文化とデジタルな最新技術インターネットの同居。自然に結びついている事実
  • コンピューターのもつ、宗教やオカルトとの近さ、親和性。「理解はできないが人智を超えたもの、畏怖と崇拝の対象になるもの」としてのPCの側面を指摘。①PCはそのネーミングからわかるように「国家が管理するスーパーコンピュータではなく、あくまでも自由な個人のものである」という反体制的なメッセージを持っている。②「全世界を覆いつくす壮大なシステムであるにもかからわず、管理者を置かず監視しやすい。」③バリー・サンダース氏の言葉を引き合いにだす。「私たちは、複雑な機械の内部で何が起こっているのかまったく知らないままに、コンピューターのキーを叩くことになれている。私たちの多くにとってコンピューターは何か超人的なもので、機会のなかの神である。」
  • ネット空間の閉鎖性。負の感情を増幅する閉鎖空間
  • 離人症的な若者の増加
  • 「奥行きやリアリティにこだわる必要はない」という離人症的世界を生きるひとつの処方箋として 村上隆 スーパーフラット
  • 村上の確信犯(自覚)的離人的演出
  • 「実際の離人症の人たちは、今自分がどのキャラクターであるのか、あるいは、ネット世界のどこにだれとして存在するのかと、多層化したたくさんの現実のどこにいるのかを見失い、一瞬前の自分がどこにいたのかも忘れてしまっている。あるのは苦痛だけだ。だからこそ、ネット少年がバスジャック犯に、コミケ青年が誘拐犯にといった「一線の踏み越え」に対しても、彼らは無自覚になるのだろう。」42
  • 離人症的若者のあり方。バスジャック事件を起こした少年がそうであったように、「何とかして現実の世界につながる突破口を見つけたいと願い、ネットで現実でさまざまな思考を繰り返す。」「しかし、彼らが夢想する「現実の世界」も、そこへの突破口を探す試みも、かなりゆがんだ形をしている場合が多い。」45
  • 誤った自己治療:離人状態(の苦痛)から抜け出す手段として(リアリティを得るための手段として)の自傷行為。リスカetc。
  • 山内志朗氏による指摘「リアリティが不足した時代では、感覚的刺激がリアリティの基礎として求められる傾向にある。痛みぐらいにしかリアリティを見出せず、しかもいくら痛みを重ねてもリアリティを得られない悲しい時代が現代かもしれない。」生々しい身体感覚こそが、"幽体離脱"のようにバラバラなった自分をひとつに引き寄せるはずだと言う目論見もたいてい失敗に終わる。強烈な実感は一時的に終わる、旨の指摘。51
  • 誤った自己治療:離人状態(の苦痛)から抜け出す手段として(リアリティを得るための手段として)の「ピュアでやさしい自分」になる。
  • 「これは、過剰な身体性に救いを求める第二の選択とはまったく逆で、”幽体離脱"して離れてしまった自分-つまり、身体性をまったく持たず、社会や世間ともかかわりのない存在としての自分-の方を実体と考え、そちらにリアリティを求めるというあり方である。言ってみれば、極端な"現実離れ"をすることによって離人症的な感覚の苦痛を消そう、ということになるのかもしれない。」60
  • 自分そのものを無制限のやさしさでできた「バーチャルな核」と想定
  • 現実世界で生きている限り、うまくいかない。そこでネットの世界に目が向けられる。
  • 一部のネット参加者によって善意やピュア志向が共有された世界の構築。ドクター・キリコの診断質。
  • 期待や幻想の表れ。理想のコミュニケーション手段としての出会い系サイト。
第三章 心が解離していく
  • 「私たちが物事を体験する時、その体験はいくつかの側面を含む。それらは過去に起きたことの記憶との照合、その体験を持っている自分のアイデ ンティティの感覚、その時感じている身体感覚、視覚、聴覚などの感覚的な情報、そして自分の身体の運動をコントロールしているという感覚などである。解離 状態では、体験の持つそれらの側面が統合を失い、その一部が意識化されなかったり、失われたりしている(解離している)状態である。82
  • 私たちはふだん「自分は、ある程度のまとまりと連続性を持った存在である」というゆるやかな意識をあたりまえのように持ちながら、生きている。」83
  • 「つまり、人間の精神や身体の基本をなす「意識・同一性・記憶・心象・知覚・感覚・運動」などの統合や連続性が失われてしまうのである。そうなると、すぐ想像がつくように「これが自分」「これが現実」という実感もあっという間に失われることになる。」83
  • 近年における多重人格の増加についての見解「現実の症例の増加が先にあり、それが出版物やドラマに影響を与えた、と素直に考えればよいのかもしれない。しかし、その反対のベクトルも考えることができる。つまり、自分の現状に不満や不安を抱き、自己変革願望や変身願望をかねてから潜在的に持っていた人たちが、大量の多重人格の情報にさらされることのよって実際にそうなってしまうのだ。」88 「情報が無意識の領野に働きかけ、発症の起爆剤にあることはありえるだろう。」88
  • トラウマ原因説以外の可能性:人間の心そのものが簡単に解離を起こしやすくなった(仮説)91
  • 「この現実ではこの私、でもあの現実では違う私」という事態が生まれている。
  • 「言い過ぎを承知で口にしてみると、「ひとりの人間ににひとつの自己」という心の統合モデルそのものが、解離モデルにとって代わられようとしているとも言える。」98
  • 「「私がいるこの世界が唯一の現実」という世界認識も大きく変わるはずだ。」
  • 「"私"は無数にあり、それぞれの"私"が居る場所としての"現実"も、また無数にあるのである。」
  • 原因については、今のところはっきりとした可能性を示すことはできない。99
  • 「人間の心そのものがちょっとしたダメージや刺激で、簡単に解離しやすいほど薄くなっているのではないか」
  • 教育やしつけにその原因を安易に帰すのは危険。インターネットや携帯電話の発達という問題には注目すべきである。99
離人感覚のスタンダード
  • 「複雑化・多様化する社会の中で、インターネットなどのバーチャルな空間やメディア空間の肥大という事態にさらされ、「自分が自分であること」「これが現実であること」に生き生きとした実感を感じられなくなるという事態を、"障害""病理"と呼ぶことはいまや間違いで、それは現代の日本人にとっての自己やリアリティに関する認識の新しいスタンダードになりつつあるのではないか、という仮説を提示した。」102
  • 「目の前の現実世界はどんどん矮小化する一方で、マスメディアを介して伝えられる世界や、パソコンや携帯電話のモニターの中の世界はどんどん肥大化し、両者の乖離が取り返しのつかないほど進んでしまった。自分の身体や家族との生活や仕事はもちろん現実の側にあるわけだが、心理的風景の多くを占めるのはメディア世界やコミュニケーション世界の側。」103
  • 「そうなると、ひとりの人間がそれらすべてを見渡すことがむずかしくなる。つまり、「こっちは現実でこっちはメディア、でもどちらを見ているのも私自身なのだ」という感覚を持てなくなるわけだ。」
  • 「すると、「自分が自分の主人である」という"ホスト感覚"が失われ、仕事の場では仕事の自分、ネットのときはネットの自分、携帯メールのときはまた別の自分‥‥というように、人格の統合性が失われ、その場その場でそれぞれ関係のないいくつも自分が生まれることになる。これがいわゆる解離性障害の原因になりうるということについては、前章でも述べた。」103
  • 感情、思考、記憶、身体性などの連続性がなくなり、「昨日の自分と今日の自分」が同じものであるという意識、「私の心と身体」がひとつの同じ自己に所属しているという意識が希薄になる。/「現実なんだか夢なんだかわからない」「すべての出来事がヴェールの向こうで起きている感じ」

20070605

[本]田中ランディ『オクターヴ』

田中ランディ 『オクターヴ』ちくま文庫


マホが、バリでの通過儀礼を経て、「社会を超えて〈世界〉にコミットしながら、でも社会の中で生きていく」あり方に変容するお話。音-絶対音感、世界-社会。

あらすじ

マホは行方不明となったミツコを探しに、日本からバリへやってくる。ミツコとは音大時代からの友人。二人の共通点はピアノ。ミツコの奏でるピアノの音は、単なるピアノの音という枠に収らず、なにか新しい世界を切り開くような特別な力を持った音だった。音楽の神様が降りてきたようなその音に、聴く者は皆魅了された。天才であった。一方マホは、ピアニスト崩れの母に幼少の頃からピアノ教育を施されていた。だが、その才能はなく、長い鍛錬の中で習得されていたのは絶対音感だけ。マホと母親を結びつけていたピアノという唯一の絆を壊さないようにマホはピアノを弾いていた。ピアノは生きる意味と同化していた。高校生の時から、母からピアノの才能がないと不平を言われることが多くなり、母は弟のピアノ教育に必死になった。その時マホは自分が失敗作なのではないかと感じた。そのことがあって、ある時からマホは母の声が単なる音階にしか聞こえなくなりそれによって自分が自分でないように感じてしまう発作が起こるようになる。またその際、記憶が途切れ途切れで曖昧になり、無自覚のうちに母の首を何度か絞めたりした。解離性障害と診断された。

大学を卒業したしばらく後、マホはフリーライターに落ち着く。ミツコは作曲家や演奏者として世に出ようとしていた。だが、ミツコは突然姿を消してしまう。しばらくしてマホの許に三通の絵葉書が届く。どうやらミツコがバリから送ったらしい。しかし、三通目を最後に音信が途絶えてしまった。果たしてミツコが無事か心配になったマホは、ミツコの下宿先へ手紙を送ってみる。返信がきたが、それはミツコによるものではなく、下宿先の人からだった。