20070129

[メモ]マース・カニングハム

モダンダンス、ポストモダンダンスの両方に位置しているとされるダンサー


モダンダンスにおけるプリミティブ

モダンダンスとは、二十世紀初頭クラシック・バレエのアカデミズムに対抗して登場してきた舞踊とそれに連なる流れを指す。しかし、内容面では主として文学的主題を扱い、形式面ではクライマックス中心の構造を堅持し、身体の動きによる内的主観世界の表現の探求として、主観と芸術の関係性に傾斜した19世紀的なロマン主義、表現主義、象徴主義のプレモダン的な性格を残す。


モダンダンスに色濃く残るプレ・モダニスト性に対する批判的な態度

舞踊の主題は踊ることそれ自体にあるのであって、ことばによって表現できる類ではないという態度。動きを文学的内容や感情の記号ではなく、「動きとしての動き」「動きそのもの」として捉え、そこに内在する表現可能性が求められる。


カニングハムが重視したもの

動きを通して他の何ものかの「再現」や「表現」するのではなく、動きがそれ自体として持っている表現力・喚起力をそのまま引き出そうとする試み。動きそのものによる表現・喚起効果はその時その場に応じ、個人によって異なったものとして「発見」される。そこにおいて観客は作品の消費者ではなく生産者となる。観客は自らに与えられるべき作品的なものを、自ら見出す。「カニングハムの重要性は、私たちが眼にし耳にするようにそこに与えられているものにのみあるのでなく、そこに与えられているものを私たちが眼にし耳にする仕方の内にある。」


カニングハムのダンス・その方法的特徴
  • 舞踏を他の芸術の先導や補助から解放し、また動きが自己自身以外のもの再現や表現という役割から解放し、それによって動き自体の構成を獲得する振り付けのために、「偶然性」を重視。偶然によるダンスの進行。次に何が起きるのか決めるのではなく、どのように決定が行われるのかを決めるのみ。
  • 多様な動き、多様な構成を目指すものとして、「日常の動き」を振り付けとして取り入れる。
  • 音楽・舞踊・舞台装置を連携させず、相互に独立した演出。(動きの自律を顕在化させるため、比較によって顕在化しているのをわかりやくするための演出。比較することに頼っている時点で、逆に音楽・舞踊・舞台装置は厳密な意味では独立ではなく、むしろ演出の上で大きく依存している。)非協同的協同制作。
  • 脱中心化、平等主義。作品の明確すぎる統一感や観客に単一の焦点を押し付けたりするのをさけて作品を開かれたままの、不確定状態へ置く。「どのポイントも平等に興味深く、平等に変化していくこと」が念頭に置かれている。舞踏、照明、装置、音楽はそれぞれ独立の中心をなし、舞踊家の動きも空間全体に均質に配分され、随時舞台の正面に来るものが入れ替わり拡散する。


参考:

『帰宅しない放蕩娘』 外山紀久子 勁草書房

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