20070521

[web]個性にしか回収されない車いす

「車いすは個性だ」

都合のいい言葉。
誰に向けて発せられた言葉なのか。
しかし、この表現で妥協しておくしかないのかもしれない。
問題は複雑。
個性に回収して思考停止。
それが楽でいいのかも。

発する立場によって温度が異なる言葉。温度差。
しかし、その温度差をはじめから前提とし、許容しているようにみえる言葉。
それは、この温度差を埋めるために必要な前段階としての自己(他者)認識の発現なのか。
それとも、マイノリティのナルシズム。
マジョリティが聞いても安心できる言葉。
お互いいい気持ちでいるための便利な言葉。

何かを棚上げにしている気がするが、さしあたり皆がこの言葉を聞いて、快く思っているのなら、価値のある言葉といえなくもない。

Engin ummæli: