20070606

[本]香山リカ『多重化するリアル』

『多重化するリアル』
  • 日本で離人症や多重人格などの解離性障害が増えている。14
  • その原因は通常、「解離性障害の原因になるようなトラウマを持つ人が増えている」と考えられるが、「はっきりしたトラウマがなくても解離が起きることがある」と考える筆者は原因を別に考える。
  • 「①テレビなどの映像メディアやインターネットなどの電子メディアが現実や自己を多層化し、解離を促進する。」「②社会や時代そのものが、人々の解離を要求するシステムになりつつある。」15

解離
  • 「現実感が極端に薄れ、自分と現実、自分とからだ、さらには自分と自分のあいだに"膜”のような断絶ができてしまうという疎外感にとらわれ、同時に「自分とは何か」という自己同一性もほどけてしまいそうな状態、それが離人症といっていいでしょう。」13
  • 「現実感がない。自分が世界や出来事、さらには自分自身にとっても、"傍観者"だとしか思えず、"当事者"だという意識が持てない。」23
  • 「私が私である」「この世界は現実である」という自己認識、世界意識が損なわれる離人症は‥」23
  • 「これだけを読むと、「私が私である」「これが現実である」という人間の精神の根底を支える感覚がすべて崩壊しているようにも思えるが、重要なのは離人症では知的能力や判断力は正常に保たれ、また「そういう自分は何かがおかしい」という違和感は強烈に残っているということだ。」26
  • 「「これが現実だ」というヒリヒリしたリアリティを感じる感覚は鈍麻しているのに、「現実だと感じられないのは異常だ」と感じる感覚はむしろ鋭敏になっているのだ。それに伴う苦痛も大きい。このパラドキシカルな感覚の二重性もまた、離人症者たちの大きな特徴だと言われている。」26
  • 「現実感の喪失」「感覚の疎隔化」40
  • 「私たちが物事を体験する時、その体験はいくつかの側面を含む。それらは過去に起きたことの記憶との照合、その体験を持っている自分のアイデンティティの感覚、その時感じている身体感覚、視覚、聴覚などの感覚的な情報、そして自分の身体の運動をコントロールしているという感覚などである。解離状態では、体験の持つそれらの側面が統合を失い、その一部が意識化されなかったり、失われたりしている(解離している)状態である。82

  • 「自分の存在を確認するため」 離人症的動機を持つ犯罪の増加。リアルな世界への突破口としての犯罪。殺人、バスジャック等
  • アナログ的な古い文化とデジタルな最新技術インターネットの同居。自然に結びついている事実
  • コンピューターのもつ、宗教やオカルトとの近さ、親和性。「理解はできないが人智を超えたもの、畏怖と崇拝の対象になるもの」としてのPCの側面を指摘。①PCはそのネーミングからわかるように「国家が管理するスーパーコンピュータではなく、あくまでも自由な個人のものである」という反体制的なメッセージを持っている。②「全世界を覆いつくす壮大なシステムであるにもかからわず、管理者を置かず監視しやすい。」③バリー・サンダース氏の言葉を引き合いにだす。「私たちは、複雑な機械の内部で何が起こっているのかまったく知らないままに、コンピューターのキーを叩くことになれている。私たちの多くにとってコンピューターは何か超人的なもので、機会のなかの神である。」
  • ネット空間の閉鎖性。負の感情を増幅する閉鎖空間
  • 離人症的な若者の増加
  • 「奥行きやリアリティにこだわる必要はない」という離人症的世界を生きるひとつの処方箋として 村上隆 スーパーフラット
  • 村上の確信犯(自覚)的離人的演出
  • 「実際の離人症の人たちは、今自分がどのキャラクターであるのか、あるいは、ネット世界のどこにだれとして存在するのかと、多層化したたくさんの現実のどこにいるのかを見失い、一瞬前の自分がどこにいたのかも忘れてしまっている。あるのは苦痛だけだ。だからこそ、ネット少年がバスジャック犯に、コミケ青年が誘拐犯にといった「一線の踏み越え」に対しても、彼らは無自覚になるのだろう。」42
  • 離人症的若者のあり方。バスジャック事件を起こした少年がそうであったように、「何とかして現実の世界につながる突破口を見つけたいと願い、ネットで現実でさまざまな思考を繰り返す。」「しかし、彼らが夢想する「現実の世界」も、そこへの突破口を探す試みも、かなりゆがんだ形をしている場合が多い。」45
  • 誤った自己治療:離人状態(の苦痛)から抜け出す手段として(リアリティを得るための手段として)の自傷行為。リスカetc。
  • 山内志朗氏による指摘「リアリティが不足した時代では、感覚的刺激がリアリティの基礎として求められる傾向にある。痛みぐらいにしかリアリティを見出せず、しかもいくら痛みを重ねてもリアリティを得られない悲しい時代が現代かもしれない。」生々しい身体感覚こそが、"幽体離脱"のようにバラバラなった自分をひとつに引き寄せるはずだと言う目論見もたいてい失敗に終わる。強烈な実感は一時的に終わる、旨の指摘。51
  • 誤った自己治療:離人状態(の苦痛)から抜け出す手段として(リアリティを得るための手段として)の「ピュアでやさしい自分」になる。
  • 「これは、過剰な身体性に救いを求める第二の選択とはまったく逆で、”幽体離脱"して離れてしまった自分-つまり、身体性をまったく持たず、社会や世間ともかかわりのない存在としての自分-の方を実体と考え、そちらにリアリティを求めるというあり方である。言ってみれば、極端な"現実離れ"をすることによって離人症的な感覚の苦痛を消そう、ということになるのかもしれない。」60
  • 自分そのものを無制限のやさしさでできた「バーチャルな核」と想定
  • 現実世界で生きている限り、うまくいかない。そこでネットの世界に目が向けられる。
  • 一部のネット参加者によって善意やピュア志向が共有された世界の構築。ドクター・キリコの診断質。
  • 期待や幻想の表れ。理想のコミュニケーション手段としての出会い系サイト。
第三章 心が解離していく
  • 「私たちが物事を体験する時、その体験はいくつかの側面を含む。それらは過去に起きたことの記憶との照合、その体験を持っている自分のアイデ ンティティの感覚、その時感じている身体感覚、視覚、聴覚などの感覚的な情報、そして自分の身体の運動をコントロールしているという感覚などである。解離 状態では、体験の持つそれらの側面が統合を失い、その一部が意識化されなかったり、失われたりしている(解離している)状態である。82
  • 私たちはふだん「自分は、ある程度のまとまりと連続性を持った存在である」というゆるやかな意識をあたりまえのように持ちながら、生きている。」83
  • 「つまり、人間の精神や身体の基本をなす「意識・同一性・記憶・心象・知覚・感覚・運動」などの統合や連続性が失われてしまうのである。そうなると、すぐ想像がつくように「これが自分」「これが現実」という実感もあっという間に失われることになる。」83
  • 近年における多重人格の増加についての見解「現実の症例の増加が先にあり、それが出版物やドラマに影響を与えた、と素直に考えればよいのかもしれない。しかし、その反対のベクトルも考えることができる。つまり、自分の現状に不満や不安を抱き、自己変革願望や変身願望をかねてから潜在的に持っていた人たちが、大量の多重人格の情報にさらされることのよって実際にそうなってしまうのだ。」88 「情報が無意識の領野に働きかけ、発症の起爆剤にあることはありえるだろう。」88
  • トラウマ原因説以外の可能性:人間の心そのものが簡単に解離を起こしやすくなった(仮説)91
  • 「この現実ではこの私、でもあの現実では違う私」という事態が生まれている。
  • 「言い過ぎを承知で口にしてみると、「ひとりの人間ににひとつの自己」という心の統合モデルそのものが、解離モデルにとって代わられようとしているとも言える。」98
  • 「「私がいるこの世界が唯一の現実」という世界認識も大きく変わるはずだ。」
  • 「"私"は無数にあり、それぞれの"私"が居る場所としての"現実"も、また無数にあるのである。」
  • 原因については、今のところはっきりとした可能性を示すことはできない。99
  • 「人間の心そのものがちょっとしたダメージや刺激で、簡単に解離しやすいほど薄くなっているのではないか」
  • 教育やしつけにその原因を安易に帰すのは危険。インターネットや携帯電話の発達という問題には注目すべきである。99
離人感覚のスタンダード
  • 「複雑化・多様化する社会の中で、インターネットなどのバーチャルな空間やメディア空間の肥大という事態にさらされ、「自分が自分であること」「これが現実であること」に生き生きとした実感を感じられなくなるという事態を、"障害""病理"と呼ぶことはいまや間違いで、それは現代の日本人にとっての自己やリアリティに関する認識の新しいスタンダードになりつつあるのではないか、という仮説を提示した。」102
  • 「目の前の現実世界はどんどん矮小化する一方で、マスメディアを介して伝えられる世界や、パソコンや携帯電話のモニターの中の世界はどんどん肥大化し、両者の乖離が取り返しのつかないほど進んでしまった。自分の身体や家族との生活や仕事はもちろん現実の側にあるわけだが、心理的風景の多くを占めるのはメディア世界やコミュニケーション世界の側。」103
  • 「そうなると、ひとりの人間がそれらすべてを見渡すことがむずかしくなる。つまり、「こっちは現実でこっちはメディア、でもどちらを見ているのも私自身なのだ」という感覚を持てなくなるわけだ。」
  • 「すると、「自分が自分の主人である」という"ホスト感覚"が失われ、仕事の場では仕事の自分、ネットのときはネットの自分、携帯メールのときはまた別の自分‥‥というように、人格の統合性が失われ、その場その場でそれぞれ関係のないいくつも自分が生まれることになる。これがいわゆる解離性障害の原因になりうるということについては、前章でも述べた。」103
  • 感情、思考、記憶、身体性などの連続性がなくなり、「昨日の自分と今日の自分」が同じものであるという意識、「私の心と身体」がひとつの同じ自己に所属しているという意識が希薄になる。/「現実なんだか夢なんだかわからない」「すべての出来事がヴェールの向こうで起きている感じ」

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