20070615

[表現]バルザック『ゴリオ爺さん』

フランス人作家。現代リアリズム小説の祖と言われる。

表現
  • 「服装はそんなだったが、彼らはほとんどみな、骨組みのがっしりした身体、人生の風雪に耐えてきた体格、冷たくて、かたくなで、通用しなくなった古い貨幣の表面みたいに特徴のない顔を見せていた。」20
  • 「真っ先に社会から利益をしぼりとる人間となるために、あらかじめその学業を社会の未来の動きにに適応させて、すばらしい出世を準備しているといった青年たちのひとりだった。」18
  • 「いったいどんな酸が、この女から女性的な容姿を腐食し去ったのか?」20
  • 「習慣的な愁い顔、もじもじした表情、貧しくひ弱そうな様子」23
  • 「ウージェーヌは男爵夫人の手をとり、ふたりとも、ときどき強く握っては音楽が与える感覚を伝えあいながら、手と手で話した。」261
  • 「父があたしの心臓を作ってくれたけど、それを脈打たせてくださったのはあなたですもの。」431
  • 「女の感情を見抜ける人間にとっては、この瞬間は甘美な喜びに満ちたものである。自分の意見を出し惜しみして相手をじらし、思わせぶりして自分の喜びを隠し、相手に不安を起こさせてそこに愛の告白を探り、ちょっと微笑するだけで解消してやれる相手の心配ぶりを楽しむといったことを、しばしばやってみなかった人間がそもそもいるだろうか?」265
  • 「女のすべての感情を流露させるあの慈愛の行為をできたのが嬉しく、それにその行為が、罪の感情なしに、青年の心臓が自分の胸の上で動悸のを感じさせてくれたので、ヴィクトリーヌの表情にはどこか母性的な保護者といった様子が漂い、それが彼女の顔を誇らしげに見せていた。」324

ボーセアン夫人の科白
  • 「じゃあ申し上げるわ、ラスティニャックさん、世間というものを、その値打ちどおりに扱うことですよ。出世なさりたいとおっしゃるなら、わたしがお助けします。女の堕落がどんなに底深いものか、男のみじめな虚栄心がどんなに幅広いものか、いずれあなたもおわかりになりますよ。わたしはこの世間と言う書物をよく読んだつもりでいましたが、それでもまだ、わたしの知らないページがありました。いまはわたしには何もかもわかりました。あなたは冷静に計算なされるほど、出世なさるのですよ。容赦なく打撃を与えなさい、そうすればひとに恐れられます。男も女も、宿駅ごとに乗りつぶして捨ててゆく乗り継ぎ馬としてしか、受け入れてはいけませんの。そうすることによって、あなたは望みの絶頂に達することができるでしょう。はっきり申し上げるけど、あなたに関心をいだく女性がいないかぎり、ここではあなたは物の数にもはいらないのです。若くて、お金持ちで、上品な、そういう女性があなたに必要なのです。でもあなたがほんとうの愛情を感じたりしたら、それを宝物のように隠しておかなければなりません。けっしてそれを感ずかれないようにすることです、そうでないと、あなたは破滅です。そのときはもう、あなたは死刑執行人ではなくて、犠牲者になってしまうのですからね。まかり間違って恋をしても、あなたの秘密をしっかり守るのです!心を打ち明けようとする相手が、どんな人間かはっきり見定めた上でなければ、その秘密をもらしてはいけませんわ。(略)パリでは、評判がすべてで、権力を手に入れる鍵ですの。女たちがあなたは才気のあるひと、才能のあるひとだと言えば、男たちも、あなたがその評判と逆のことをしないかぎりそれを鵜呑みにするものなのよ。そうすればあなたは、どんなことでも望みどおりにでき、どこへでも出入りできるのです。そうすればあなたにも、世間というものがどういうものか、つまりお人よしとぺてん師の集まりだということがわかるでしょう。どちらの側についてもいけません。わたしの名前を、世間というこの迷路へはいってゆくためのアリアドネの糸として貸してさしあげます。この名前を辱めないでくださいね」139
ヴォートランの科白
  • 「(略)なんならためしてみるがいい。このサラダ菜の根っこと引き換えに、首を賭けたっていいが、君のお気に召した最初の女の家で、たとえそれがどんなに金持ちで美人で若い女であっても、君は雀蜂の巣みたいな混乱にぶつかることを請け合うね。どの女もみんな、法律の首枷をはめられ、何かにつけて亭主と交戦状態にあるんだ。恋人のため、着るもののため、子供のため、家庭のためや虚栄のため、といってもめったに美しい心根からじゃあないことは、保証していいが、どんな醜い駆引きがなされているか説明しなきゃならんとしたら、果てしがないだろうよ。だから正直者ってのは、共同の敵なのさ。しかし、正直者ってのはどんな人間だと思うかね?パリでは、正直者とは黙りこんで、仲間入りするのを断る人間のことさ。なにも、いたるところでつまらん仕事をして、その労働が絶対報いられることのない、神の古靴信者団とおれの呼んでいるあの哀れな賤民どものことを言っているんじゃあない。たしかに、連中の間には美徳があって、その愚鈍さのかぎりを花咲かせているが、しかしまた悲惨がある。もしも神が最後の審判の日に欠席するなんていう、たちの悪いいたずらでもしたら、あのひとのいい連中がどんな泣きっ面をするか、目に見えるような気がするな。というわけで、君がたちまちのうちに出世しようと思うのなら、すでに金持ちであるか、あるいはそう見えなくちゃならんのさ。金持ちになろうと思ったら、この土地じゃあ、思い切った芝居を打つことだ。そうでもしないと、けちけち暮らして、はいご苦労様さ!君が選ぶことのできる百の職業のうちで、十人ぐらいはさっさと成功するのがいる、世間はそういう連中を泥棒と呼ぶ。そこから結論を引き出したまえ。ありのままの人生とはそんなものなんだ。こいつは台所以上にきれいなものじゃなく、同じくらいひどい匂いがする。そしてご馳走を作ろうと思ったら手を汚さなくちゃならん。ただ、あとでそのよごれをきれいに落とすすべを知ることさ。それが、いまのご時世の道徳のすべてなんだ。おれが世間のことをこんなふうに話すのも、世間がその権利をおれに与えた、つまりおれは世間を知っているからなんだ。おれが非難していると思うかね。どういたしまして。世間てのはいつもこうだった。道学者連がなんといったって、変わりっこない。人間は不完全なんだよ。人間は多かれ少なかれ、偽善者になることがあるが、そうすると頓馬な連中は、やれ真面目だ、不真面目だなどとぬかす。おれはなにも、貧乏人のために金持ちをやっつけているわけでもないのさ。人間てのは、上だって下だって、真ん中だって、いつもおんなじなんだ。この高等家畜の群れには、百万人に十人ぐらいの割で、あらゆるものの上、法律の上にさえ立つ図太いやつがいる。おれもその仲間さ。君は、もし優秀な人間だと思ったら、頭を上げてまっすぐ進みたまえ。しかし、羨望とか中傷とか愚鈍さとかと戦わなくちゃなるまいな、すべての人間と。(略)」187
ラスティニャックの科白
  • 彼の目には世間というものが、いったん足を突っこむとずるずる首までもぐってしまう、泥の海のように映るのだった。「そこで行われるのはしみったれた犯罪ばかりだ!」と、かれはつぶやいた。「ヴォートランのほうがずっと偉い。彼は《服従》と《闘争》と《反抗》という、社会を表現する三つの大きな要素を見きわめていた。つまり《家族》と《世間》と《ヴォートラン》だ」 それでいて彼は、態度を決めかねていた。《服従》は退屈であり、《反抗》は不可能で、《闘争》はあやふやなのだ。彼の思念は、ひとりでに彼を家族のもとへと連れ戻した。彼はあの静かな生活の清らかな感動を思い出し、自分をいつくしんでくれた人びととの間ですごした日々を回想した。家庭というものの自然の掟を忠実に守って、そのなつかしい人びとは、そこに充実した、間断のない、そして何の苦悩もない幸福を見出しているのだ。そんな殊勝な考えにもかかわらず、彼はデルフィーヌの前に出て清らかな魂の信条を告白し、《愛》の名において《美徳》を命令するためだけの勇気が、どうしてももてなかった。始まったばかりの彼の教育が、すでに実を結んでいたのである。彼はすでに利己的に恋していた。生来の俊敏さのおかげで、彼はデルフィーヌの心の性質を見抜いていた。舞踏会へ行くためなら父親の死体でも踏みにじりかねない女だと、予感していたのであり、それでいて彼には、説教師の役割を演じる気力も、夫人の機嫌をそこねる勇気も、彼女を捨てるだけの道徳感もなかった。」446
  • 「美しい魂を持っていると、この世間に長くとどまっていることができないんだ。実際、どうして偉大な感情が、みみっちくて、しみったれていて、浅薄な社会などとおりあってゆけるだろうか。」464

語句の意味

かもじ
  • かもじとは、もともと結髪に使う「添え毛・入れ毛・足し毛」のこと。髢。
象嵌
  • 象は「かたどる」、嵌は「はめる」と言う意味がある。象嵌は、一つの素材に異質の素材を嵌め込むと言う意味。

  • 戸・窓・障子などの周囲の枠
矍鑠(かくしゃく)
  • 「矍」とは「おどろく・いさむ」姿の意味、「鑠」とは「さかん」と言う意味。2つを合わせて、「年をとっても元気なさま」という意味で年老いた人に対して使われる。

Engin ummæli: