20070606

[Web]MouRa 東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』インタビュー

MouRa
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FRAMES INTERVIEW 06 東浩紀インタビュー
  • 「ところが、いままでは文学史は常に純文学史であり、純文学の外側からどんなひとが「越境」してきたかという、ある意味では傲慢な視線しかもてなかった。僕はその視線を相対化したかったんです。」
  • 「『ゲーム的リアリズムの誕生』は、純文学を中心として文学全体を語る、現在の文芸評論の呪縛を解体するために書かれている。」「むしろ、異なった文学環境に生きる人々が、それぞれの立場を相対化するためのコミュニケーションツールとして書いています。」
  • 「そもそもオタクたちのメンタリティには、教養主義や文学性を引きずりながらも、動物的な消費社会の波に骨の髄まで浸かっているという両義性がある。きわめて 動物的で快楽主義的であると同時に、妙に実存的で人間的でもあるわけです。それがオタクたちの作品の特徴ですよね。前回はその「動物化」の側面に焦点を当 てたわけですが、今回はその両義的なところから新しい「文学性」を──と言って言いすぎであれば、新しい文学についての語り方を導き出せないかと思って本 を書いたわけです。」
  • 「 そもそも言葉というのは、現実から乖離(かいり)しているにもかかわらず、世界と直結しているような気がしてしまう媒体です。その「カン違い」、つまり自然主義は世界中で生まれている。だから、自然主義文学批判はどこででも成立する。」
  • 「しかし、日本では──この発見は大塚英志の天才的な着想だと思うわけですが――、手塚治虫によってマンガでも世界を描けるというカン違いが起きた。文学の カン違いが、マンガのカン違いに転移したわけです。しかも、ライトノベルは、そのマンガのカン違いが文学に逆輸入されて生まれている。つまり、カン違いが 三重に重なっている。こういうふうにライトノベルのキャラクターには変わった歴史的経緯があるので、記号と現実の関係を考えるうえで、その様態を分析する のはとても面白いと思います。」
  • 「本をちゃんと読んでくれればわかるのですが、僕が「メタ物語」と言っているのは、物語の自己言及性のことではなく、物語の要素であるはずのキャラクターが 物語を横断してしまう特徴のことです。現在では、作品の制作過程で物語の作成と同じくらい、あるいはそれ以上に「キャラを立てる」ことが重視されますよ ね。しかし、キャラクターというのは、それを「立てた」瞬間に、複数の物語が自動的に召喚されるような存在なのです。これを、僕は「メタ物語的」な環境と 呼んでいる。だから、別にメタフィクションじゃなくても、キャラクターが立って、2次創作を生み出せるようなライトノベルは、すべて原理的に「メタ物語 的」な存在なのです。」

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